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「共働き×中学受験」も増える過熱感に感じる懸念

2022/9/9

東洋経済オンライン

日本の中学受験は大変すぎやしないか──。筆者が5年ぶりにシンガポールから帰国して実感したこと、その1つが中学受験の過熱ぶりだ。 著者は日本における「仕事と育児の両立」問題について長く追いかけてきた。 正社員総合職が増えて、育児休業を当たり前にとれるようになったものの、復帰後の両立がままならない。そんな問題を『「育休世代」のジレンマ』で取り上げるなどした後、家族の転勤でシンガポールに転居。5年間、海外で「仕事と教育の両立」の問題について取材し、発信してきた。 今年3月に日本に帰国し、日本で取材・調査しているが、日本の母親たちが子どもの年代ごとにさまざまなジレンマに直面していることを実感する。その1つが中学受験だ。

参照元:https://toyokeizai.net/articles/-/614907 ジャーナリストの中野円佳さんによる連載、第10回です

日本の共働き×受験はどうなっているのか

過酷な中学受験を乗り越えた母親たちに話を聞くと、「ため息」まじりの声を聞くことも少なくない。 「受験が終わって本当にほっとしている」という声もあるが、「中学受験合格でゴールじゃなかった……」「入ってからも大学受験を意識させられ、宿題も膨大」など、複雑な内心もよく聞かれる。 2000年代前半までの教育社会学等の論文では、中学受験をするのは専業主婦の家庭が多く、塾講師と連携した黒子の役割を母親が担う必要性が指摘されてきた(※1)。同じく受験競争が激しいといわれる韓国等でも、塾や習い事を活用するうえでの情報収集やマネジメントに専業主婦の母親たちが時間を割いているとされる(※2)。 そのような中で、少し前まで育休世代の母親たちの懸念は「共働きで中学受験をさせることはできるのだろうか?」というものだった。実際「働きながらの中学受験があまりに大変そうだから、小学校受験を選ぶ」人たちもいる。

ただ、小学校受験もまた、各教科の点数以外に多方面にわたって成果を求められる性質があり、決してラクともいえない。 それでも、それを乗り越えて小学校受験成功組となった親子が、スポーツに打ち込んだり、のびのびと小学校時代を過ごしたりしているのを見ると、「中学受験を考えなくていいなんてうらやましい……」となりそうなくらい、今の中学受験をめぐる日本の様相は過酷だ。

「自分が経験した30年前より激化している」

今や共働き家庭の子が中学受験に挑むことは、とくに珍しいことでなくなっている。一方、親自身が中学受験の経験者である家庭ですら言い切るのが「明らかに30年前の自分たちのときよりも、激化している」(親が最難関校の桜蔭・開成出身の夫婦)という話だ。 ある塾の説明会で、このような話を聞いた。 中学受験の最難関校の回答用紙は、10年前は選択肢形式や抜き出し型の問いもあったが、現在は、より思考力が問われる記述式の大問が数問のみとなっている学校もあるという。 学校側は少子化の中で、より力のある生徒を取りたい。そのため、その場でとっさに考える力がどれだけあるかを測ろうと参考書にはない新しいタイプの問題をひねり出したりする。だが、塾は新しい傾向が出てくればそれに対する対策を伝授する。そうして、必然的にやることはどんどん膨らんでいく──。

限られた席を争う「選抜」には、必ず差異化が必要だ。皆が満点を取れば差がつけられない。こうして望むか望まないかにかかわらず、親子が対策を取るほど試験の内容が難しくなる。これはこの連載で見てきたシンガポールとまったく同じだ。 そして、「〇〇塾は小3から入れないと、後からは入れない」などとささやかれ、塾通いが低年齢化している。都内の地区によってはその席の確保も「小2から入れないと」「小1から入れないと」「年長から……」と次々と下がっているという話も聞く。 低学年については、先々の通塾の権利の確保だけが目的で、すぐには通塾しないにもかかわらず、毎月の支払いだけするケースもあるという。

さらに、コロナによる人数制限等の影響もあり、私立中学校などが主催する学校説明会は、予約開始時間直後にアッという間に満席になるほどの人気だ。もはや何の競争なのかもわからない状況が繰り広げられている。 「中学受験」に向け、あおられ、焦らされ、大半の親たちは「そんなに早くから競争させたいわけでもないんだけど」と言いながら子どもを塾に入れ、ひとたび塾に入れると今度は宿題等に追われ、競争に駆り立てられていく。

改めて、なぜ中学受験をするのか

では親たちはどうして、中学受験をさせようと思うのか。 1つは公立不信だ。ある最難関校の1つである男子校に通う中2の男の子の母親は、息子について「能力に凹凸があるタイプで、勉強は得意だけどコミュニケーションは苦手。公立小学校では怒られてばかりだし、習ってないことはやっちゃダメと言われる。それに対して、塾では頑張れば頑張るほど褒めてもらえた」と話す。 出る杭は打たれ、できることをほめてもらえない。管理され、学校が楽しくない。そのまま中学に行けば教師との相性で左右されがちな内申点が高校受験に必須なので心配。このような公立学校への不満が、受験に向かわせている。 もう1つは、「皆がやるから」というものだ。 都内では小学校から公立中学校に進むのが1割以下という地域もあり、「(住んでいる学区では)公立中学校にはいわゆる“できる”子はほとんど進学しないと言われていて、子どもをより良い環境に行かせたいと思った場合に分布の偏りが気になる」(小6女子の母親)という声が出てくる。

アメリカの社会学者のロバート・K・マートンは、根拠のない噂だとしても、皆が信じるとその状況の実現に近づいてしまうことを「予言の自己成就」と呼んだ(※3)。「中高で切磋琢磨できる友達と過ごしてほしい」(高2、中2の母親)と考える親たちの心理の連鎖で、中学受験しないという決断のほうが難しく感じられてしまったりする構造がある。 私立中高一貫校で高校からの募集が減っていること、都立高校に男女別定員制があり女子は男子と同じ点を取っても合格できない可能性が高いなどの制度的課題(報道を受けて段階的に廃止する方向だが)もあり、中学受験という選択肢が都内では広がっている。

しかし、流されるように追い立てられるように塾に行かせ、中学受験に向かうデメリットもないのだろうか? 子どもにはそれぞれに特性があり、学校にも塾にも相性があるだろうに、本当に低学年から塾に入れる必要はあるのか?

中学受験の弊害はないのか

「入試そのものよりも、塾の試験でクラス分けがあるのが嫌で、終わってほっとした」 「中学受験がというより塾が嫌いだった」 中学受験を終えた複数の中1の母親たちから聞いた、子どもたちの言葉だ。 ある女の子は大手塾で間違った回答を講師に「●●さんはこんな解答をしています」とさらされ、笑われたことがトラウマになり塾に行けなくなったという。結局その塾は辞めて、個別指導などを経て受験を無事終えた。 私が見学した塾でも、見学者の大人がいるにもかかわらず、まだおそらく志望校もかたまっていないであろう小4の子どもたちに対して、「難関校がさ、こんな単純にとける問題出すと思う?」「早くしろよ!」「宿題ひっでーなぁ、これ」といった叱責があまりに多くて驚いた。子どもたちが授業の1時間の間、一度も笑顔を見せず、ただ萎縮しているように見えた塾もあった。

中学受験はゴールではなく、その後も人生は続く。中学受験をくぐり抜けた親たちからも、 「自主性を重んじるタイプの学校だとさぼってしまうとか、難関校にぎりぎりで入ってしまって、ガタガタと成績が落ちていくとか、心配は尽きない」(高2、中2の母親) 「志望校に入っても中2から中3にかけて、生きる意味を感じないという感じになってしまった。その後に自分でやりたいことをみつけたようで塞翁が馬でしたが、何がいいかなんて事前にはわからない」(現在大学1年生の男の子の母親) といった話も聞く。 にもかかわらず、中学受験で、成績がいいことが偉いという価値観がたたき込まれ、偏差値の高い学校ほど目指すべき目標のように語られる。勉強ができないやつはクズだカスだという価値観を刷り込まれたら。

「そこで挫折してしまった子への影響が心配」「必ずしも努力が成果につながらないので、自信喪失につながる」という声があるのはもちろんだが、私はそこで成功してしまった子のことも十分心配だ。 偏差値競争を勝ち抜き、高学歴を手にしたことは、成功体験でもあるだけに、子どもたちの人格形成に少なからず影響を与えるかもしれない。 次回、偏差値至上主義ともいえるような中学受験からはじまるカルチャーの弊害について詳しく見ていきたい。 (取材には一部、「東大ママ門」の協力を得ました)

※1:平尾桂子, 2004,「家族の教育戦略と母親の就労──進学塾通塾時間を中心に」本田由紀編『女性の就業と親子関係──母親たちの階層戦略』勁草書房,97-113. ※2:Park, H, Byun, S.-Y., and Kim, K.-K., 2011, “Parental Involvement and Students’ Cognitive Outcomes in Korea: Focusing on Private Tutoring.” Sociology of Education 84 (1): 3–22. ※3:ロバート・K・マートン(森 東吾/森 好夫/金沢 実/中島 竜太郎訳) 1961,『社会理論と社会構造』みすず書房

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